スイスで挑むプロサッカー選手への夢

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近年、スイスで活躍した日本人選手はヤングボーイズに所属した久保裕也選手を思い浮かべるだろう。今回はドイツでサッカーを経験し、スイスに挑戦する飯野多希留選手に取材を行った。

スイスでプロを目指すフットボーラー


ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。

スイス5部のバッサースドルフに所属していて、今はプロを目指して頑張っています。最近では就活もして内定も決まり、来年の1月から仕事をしながらサッカーを続けていきます。

ースイスでプレーする選手はあまり聞いたことがありません。

以前はドイツで2年サッカーをしていましたが、スイスのチームにコネのある人がいないので、飛び込みで今年の3月に来ました。メールを50チームくらいに送って、飛び込みで練習参加に行って、プロチームにも連絡しました。3部のチームのGMの会社まで直談判に行きましたが、受付の人に丁重に断られて名刺だけ貰いました。(苦笑)最初はチーム探しから始まりましたね。

ーそれでも今はチームでプレーされていますね。

その中で2チームだけ返事が来て、それが今の所属先です。今年から監督が新しく新体制のチームで、レギュラーに上手く入り込めました。前期の13試合全部先発で右サイドバックでゴールは1、アシストは3くらいです。

ー以前はドイツにいましたが、スイスとドイツでは言語はどれくらい違うのですか?

全く違いますね。ほぼ解らなかった。標準ドイツ語はわかりますが、最初来たときは全くでした。僕に対して標準ドイツ語を話すけど、スイス人同士やチームではスイスドイツ語での会話です。最初は言葉に苦労していました。

ー言語以外もドイツとは違うと思いますが、、、

選手の性格、国民性が違うなというのはあります。ドイツでは直接的な物言いで、監督も「今日のお前最悪だったよ」とか試合後に言われましたが、そういうのはスイスにはありません。他にも、ドイツのほうがサッカーは興業的に大きく、スイスはプロの人が少ない。逆に言えばプロじゃなくても真剣にやってる人が多い印象です。

ー逆にドイツではどのような選手が多いのですか?

ドイツは6部でも結構なお金をもらいながらやれるので、仕事をしながら小遣い稼ぎ程度でもやってる人がドイツにもいました。スイスは仕事しながら真剣にやっていて、好きでサッカーをしているイメージです。

ーちなみにドイツ時代はどれくらい貰えたのでしょう?

6部でサッカーやっていて、契約固定で5万と勝利給。移動もタダですし、練習着も全部支給されました。

ーすごいですね!6部では生活できるほどお金をもらえるチームもあるんですか?

それだけで生活はできないけど、6部でもすごくお金あるチームが固定給で25万出すようなチームはありました。それは特例ですが、スポンサーの大きい会社で社長が個人的にポケットマネー出すようなチームです。なのでサッカーだけ生活する選手はいないけど、結構な額を貰う選手もいました。

ー日本ではあまり想像できない世界です。それではスイスに挑戦した初のシーズンで印象に残ってることはありますか?

スイスではドイツよりも高いリーグでプレーできるので、より評価してもらえるかな。と思っていましたが、そこまで違いはありません。結果的には高いリーグでプレーしているけど、レベルの違いというよりサッカーの違いかもしれないなと思いました。

14歳で天皇杯に出場は最年少!?

ーサッカーはいつから始めたのでしょうか。

保育園のときに仲の良い友達がサッカー初めたことがきっかけです。兄は野球をずっとやってたので野球を勧められていました。そこからなぜか海外サッカーに興味を持ち、夜中によく試合を見ていました。

ー海外サッカーが好きだったのですね。

はい。小学6年生の頃にマンチェスター・ユナイテッドが来日したときがありました。そのときに日本のU12とU15の選手を対象にしたマンチェスターに行けるセレクションがありました。それに参加して、全国のセレクションに残ったのですが、そのときにファーガソン監督に見てもらいました。結局マンチェスターには行けなかったけど、ずっとテレビで見てた人に指導もして貰えて、あそこにいた中で一番感動していました!

ーファーガソン監督に指導してもらうとはすごいです!選手としては他に思い出はありますか?

中学、高校はブリオベッカ浦安でずっとやっていたのですが、14歳のときに天皇杯出たんですよ。これを聞いたら驚かれますが(笑)中学2年のときに、天皇杯の県予選に出場しました。二回戦の江戸川大学との試合は、もうどうすればいいんだという感じで。緊張でご飯も食べられなくて、その試合は全然駄目でした。その試合はキーポイントになっています。

ー中学生で大人と試合するとは…

チームは子供から大人までいて、下の選手は良ければ試合に出れます。周りは社会人で、当時から上を目指していたチームでした。上を目指して頑張っている集団で、中学生の子供が出ていいのか。というプレッシャーもありました。あれほど緊張した試合はありません。足の速さ、身体の強さ、サッカーも大人の方が知ってるしどうやって勝てばいいのかわかりませんでした。

ーそのあと大学生の途中でドイツに渡るわけですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

ヨーロッパに行きたいとはずっと思っていました。プレミアが好きでイングランドを考えてたのですが、高校時代に1860ミュンヘンのユースのヘッドコーチが自分たちの練習に来てくれたのをきっかけにドイツに興味を持ちました。高卒でドイツを考えましたが、ドイツ語専攻の大学に入ってから行くことに決めました。

ードイツにはいつ頃行ったのでしょう?

最初は1ヶ月トライアウトにケルンの方にいった。トライアウトうけて、帰国していたのですが、チームが降格して、もう1回探し直しになりました。2014年の7月に行って、6部のメンディヒに決まり、それから2年サッカーをやっていました。

ー当時はどうでしたか?

中学校から浦安にいて、これまでチームを変えたことなかったので、生活も何もかも劇的に変わりました。赤ちゃんになった気分で、全部が新鮮でした。言葉は大学でそれなりに勉強していったのでそこだけは良かったです。

ー新しいチームでは周りは完全にドイツ人のチームだったのですか?

ドイツ人の代理人だったので、日本人がいないチームでした。頼れる人がいないので、自分でなんとかするしかない事が多くて。もちろんドイツ人のいろんな方に助けてもらいましたが、それを望んでいる自分もいて、あまり日本人に頼らないようにしたかった。今考えると良い経験でした。

ードイツ時代の思い出はありますか?

6部でお金貰えたのは衝撃的でした。日本でプレーしていたときは貰っていなかったので。ブリオベッカ浦安は自分が大学生になった頃はJから選手を獲得したり、大卒の選手を呼んだりと強化している期間でした。自分が一番若くて、下手なりに頑張っていたのですが、ベンチ外が当たり前。違う試合のスカウティングに行かされて、悔しさも感じないくらい当たり前になってしまいました。それも問題でしたが、ドイツに来て場所によって評価される度合いが違うと感じました。

ードイツのサッカー文化はすごいですね。

極論、ドイツでは子供からお年寄りまでどこかのクラブのファンで、サッカー好きな人が多いです。そのためアプリを作ったり、インターネットでサービス作ったり、何をやっても儲かる国だと思いました。サッカー好きが多すぎて上手くいくのがドイツですが、それをそのまま日本でやったとしても、あまり熱をもってる人が割合的に少ないので違うやり方になるのではないかと思います。

ブンデスリーガでインターンも経験

ーブンデスリーガのクラブでインターンをされていたとブログで読みましたが、いつ頃されていたのでしょう?

ドイツで2年目の2015年9月から12月までです。

ー何故インターンをすることになったのでしょう?

ドイツのサッカーの仕組みとか調べて、ブンデスリーガのチームでもインターンをやりたいと思いました。スタッフとしてマーケティング、マネジメントをやりたいので申し込みました。それでも1つだけ受かったのがボルシア・メンヒェングラートバッハで、女子チームのGMアシスタントにつけるということになって、やらせてもらいました。

ー貴重な体験ですよね。今まで聞いたことがありません。

ブンデスの仕事は人気な職種で応募がすごく来ます。その中で日本人が所属するチームで日本人であることを活かして、クラブに還元したいという志望理由にして、送れる所は全部送りました。全部他の人を取りますという連絡でした。ボルシアの女子チームであればやってもいい。ガソリン代だけ貰って、片道120キロのところをアウトバーンで140キロ位で走って1時間半くらいかけて行きました。

ー体験してどうでしたか?

まず女子リーグは、ドイツでもビジネス的には男子より全然劣っています。ブンデス2部にいたチームですが、ずっと首位でほぼ1部のチームと変わらない規模です。男子の6部より給料を貰ってない選手がほとんどで、練習は月曜以外は毎日、土日もどちらかが試合。みんな意識も高くもちろんプロです。そして監督もコーチもマーカーの位置とか1ミリ単位で置き場所を考えてるんじゃないかというくらい。情熱があって毎回練習後のミーティングもみっちりやります。この人達にとって天職で、好きで働いている。好きを仕事にできるのはすごいと感じました。

ー選手とは異なる仕事を間近で見て、どのようなことを経験できましたか?

プロの監督が選手を見る視点、練習を作るときの視点などこうやって考えているのかと学びました。スカウティングのためにオランダでのセレクションに行くなど重要な経験をさせてもらいました。

ー選手をしながらこのような活動をする人はあまりいないのではないでしょうか。

選手をやってる間にいろいろやるのが大事だと思っていて、ドイツ時代もそこは意識していたかもしれません。選手をやってる間にできることとか、選手やりながらだからこそ、効果があるのではないかと思っています。

ー新しいアスリート像という感じがします。

サッカーに集中しろよという感じですけど。(笑)もしかしたら環境が変わって、今まで抑えてたのが急に刺激されたのかもしれないです。ドイツに行って、世界中から選手もきてるから、競争率も高さとか、実際結構厳しい世界でもあるし、だからこそ、選手もやりながらいろんなこともやりたいというのもあります。

ーいろんな国から来てる方は選手以外の活動はしているのですか?

いや、僕のいたチームで1人アメリカ人選手はサッカー留学でしたが、スポンサーのビール工場で働きながらサッカーをしていました。僕もビール工場を誘われましたが、ドイツでは2年でプロになれなかったら帰国するというリミットがあったので、稼ぐことよりも得られるものを大事にしました。時間とお金を投資するつもりで、この2年間は今ドイツでしかできないことをやっていました。

希望を与えられる選手として


ー後期のシーズンが残っていますが、目標はありますか?

まず今、選手として半シーズンやってみて、上のリーグでやれる自信があります。まずはうちのチームが昇格できるチャンスがある順位なので、まずはそこを目指して頑張るところですね。

ー昇格まではどれくらいなのでしょう?

1チームが昇格できるのですが、前期を2位で折り返して、トップと3ポイント差。後期の始まりが1位との直接対決で、勝利すると得失点差を含めると1位になります。そこから大変な試合が続くので毎試合ハラハラですが、山場の初戦は負けられないですね。

ー日本から応援しています!そしてTwitterの更新を楽しみにしています。

僕自身はこの活動を通して、上手く行ってない選手に希望を与えられるようにしたいと思っています。自分もどんどんアクティブに動いて、それを見た人がちょっとでも元気になってもらえたらなと考えて、今後も発信をしていきます。

ー選手としての想いがあるのですね!何か他に今後やりたいことはあるのでしょうか?

もともとテレビ局のスポーツ部門でアルバイトの経験があって、選手以外でワクワクで来る仕事で面白かったです。選手活動が終わってから明確にやりたいことはないけど、スポーツで特にサッカーとメディアと後もう一つ何か繋げたものをやってみたいな。というのが何となく頭にあります。

ーブログも1つのメディアですよね。海外の情報を知ることができるのでとても楽しみにしています。

今は選手に重点置いていますが、選手をやりながら、何かやりたいという思いは持っててアンテナ立てつつ活動しています。

ーそれでは、最後にメッセージをお願いします!

あいつにできたなら、俺にもできるかもしれないと思ってもらえるように。希望を与えられるように頑張っていきたいです。そしてチャレンジすることは大事だと思っています。僕の中で上手くいくことよりも、失敗することは面白いと思っていて、これもブログのタイトル(THE 失敗談)にしています。失敗談はお金で買えないので、失敗したら面白い話ができたらくらいの気持ちで良いと思います。そのためにはチャレンジしないと何も始まらないので、失敗することを恐れずに挑戦してほしいと思います!

ー本日はありがとうございました。

異国の地でプレーする飯野選手。サッカーに限らず、様々なことに失敗を恐れることなくチャレンジする姿は、新たな挑戦をする若者に勇気を与えていくだろう。Vektorでは今後も活躍する飯野多希留選手を応援していきたい。

【飯野多希留】

スイス5部 バッサースドルフ所属。
Twitter:たける
ブログ:THE 失敗談

取材/執筆

【藤原】
Vektor代表
Twitter:Kohsuke/スポーツ支える人を取材してる人