父と伯父、兄2人がフットボーラーというアメフト一家で育った松岡大聖。2人の兄と同じ中央大学に入り、4年時には主将としてチームを率いた。春からは富士通フロンティアーズでXリーグに挑む彼に、学生最後の1年を中心に4年間を振り返ってもらった。
主将になった理由は、勝ちたいだけじゃなかった
子どもの頃から、兄2人がプレーする中大の試合を見に行っていた。
目にしていたのは、プレーそのものだけではない。試合に向かう姿勢や立ち振る舞いも含めて、「かっこいい」と思えるチームの姿がそこにあった。
そんな中大に入り、1年次の頃から思っていた以上に試合に出る機会があり、チームのエースレシーバーとして活躍もした。しかし2年春には大きな怪我をして、その年はほとんど何もできなかった。
悔しさを抱えて臨んだ3年次では、関東学生アメリカンフットボール1部リーグTOP8のレシーブ部門でトップに立ち、歴代記録を更新するなど、確かな結果も残した。
それでも、4年間を振り返ったときに最も強く残るのは最後の1年間だ。
「4年生の1年間は、これまでの3年間以上に長いシーズンだったと思うぐらい濃い1年間でした」
主将としてチームに何を残せるかを考え続けた時間。自分が前に立つことの重さや、どうあるべきかに向き合い続けた1年でもあった。

子どもの頃に見ていた中大と、自分が入ってから経験した中大。その間には、ずっと引っかかるものがあった。
試合への向き合い方、ミスをしたときの振る舞い、チーム全体の空気。時代の違いも、コロナ禍の影響もある。それでも、自分が思い描いていた中大と、実際に過ごした中大はどこか違って見えた。
入学した頃、当時のヘッドコーチからかけられた言葉が、ずっと心に残っていた。
「お前が日本一の選手になって、チームを日本一にしろ。俺も日本一のヘッドコーチになるから」
その言葉は、約束のように残り続けた。
3年次のシーズンでは、1部と2部の入れ替え戦も経験した。勝利して残留を決めたあと、OBや応援してくれる人たちから、何度も声をかけられた。
「お前しかいない」「チームを変えてくれ」
そうした言葉を受け取る中で、主将という役割への意識がよりはっきりしていった。
キャプテンは、一番勝ちたいやつがやるべきだと聞いてきた。もちろん日本一を目指したい気持ちはあった。ただ、それ以上に、このままの空気で終わらせたくなかった。
「このチームを変えるんだったら、自分がキャプテンをやらないといけないなって思ったんです」
最後の1年は特に、自分がどれだけ活躍するかではなく、中大に何を残せるかを考える時間になっていった。

愛されるチームをつくりたかった
主将として最初に強く意識したのは、挨拶と感謝だった。
プレーから少し離れた、程度の低い話に見えるかもしれない。ただ、彼にとってそこは外せない部分だった。
それまでの3年間、チームは勝敗に意識が向きすぎていた印象が強かったという。勝利を目指すのは大前提だ。ただ、それだけでは独りよがりなチームになる。万が一負けたときに何も残らないチームにはしたくなかった。
「応援してくださる方がいて、頑張れって声をかけてくださるのに、何も返せない。それで日本一になっても、応援される、愛されるチームなのかなって思ったんです」
だから、練習で伝え続けた。挨拶をすること。そして支えてくださる方に感謝の想いを伝えること。支えてくれる人に、ちゃんと反応を返すこと。

他大学と比べても、比較的おとなしめで静かな学生が多い中大の雰囲気も、意識の背景にあった。挨拶やリアクションの少なさは、ずっと感じていたことだった。
試合前後には、観客に向けて一言を届ける時間もつくった。兄たちの試合を見ていた頃の中大には、そういう時間があった。選手たちがどんな思いで練習してきたのか、少しでも見える方が応援しやすい。そう思っていたからだ。
「大聖、良いチームを作ったね」
そう声をかけられることが増えた。試合後の挨拶で、涙を流してくれる観客もいたという。
チームを変えたかった。支えられている側の自覚を持ったチームにしたかった。挨拶と感謝にこだわったのは、そのためだった。
主将として過ごす中で、自分自身が変わった
キャプテンは誰よりもやらなければいけない、という感覚が強くあった。自分が練習を外れるわけにはいかない。前に立つ以上、試合でも結果を出さなければいけない。そういう意識を、自分に課し続けた。
背景には、1年時に見た当時のキャプテンの存在がある。大怪我を抱えながらもそれを見せず、練習をやり切り、走り切る。そんな先輩の姿を見てきたからこそ、自分もそうでありたかった。
ただ、実際には簡単ではなかった。毎日の練習があり、ミーティングがあり、考えなければいけないことも増える。怪我や疲労を抱えながら、それでも外れるという選択肢は自分の中になかった。
それまでの3年間は、昨日より今日の方がうまくなっている感覚があった。4年生になってからは、主将として抱えるものが増え、身体も万全ではない中で、毎回の練習を100パーセントで臨む難しさがあった。
「言い訳になってしまいますけど、4年生だけを見ると、あんまり上手くなっていないなのかなって思います」

プレーヤーとしての成長は、思うように追えなかった1年だった。それでも、主将として過ごす中で、プレー以外のところでの変化は大きかったという。
もともと人前で話すのは得意ではなかった。他者に厳しく接することも、毎日少しずつ積み上げることも、どちらかといえば苦手だった。それでも責任感の持ち方も、人との向き合い方も、気づけば変わっていた。
その変化を支えたのは、周囲の大人たちとのやり取りだった。コーチやOB、応援してくれる人たち、就職活動で出会った人たち。様々な話を聞く中で、「この人のいいところを取ろう」と考えていたという。誰か一人の考えをそのまま正解にするのではなく、自分なりに咀嚼しながら、主将としての向き合い方を形にしていった。
「別人になったのかなってぐらい変わったなって、今振り返ると思います」
結果として、中大は6位でシーズンを終えた。日本一には届かなかった。悔しさの残る終わり方だったのは間違いない。それでも、この1年には意味があったと思っている。この1年で、後輩たちに何を残したかったのか。
まず挙げたのは、やはり挨拶と感謝だった。自分たちの代で根付かせようとしたその文化は、これからの中大にも必要なものだと考えている。引退後に話したコーチからも、これからも引き継いでいきたいという言葉があったという。

日本一へ続く、その先へ
春からは、富士通フロンティアーズでXリーグに挑む。
社会人でも競技を続けようと思った背景には、大学3年の頃に東京ドームで見た社会人アメフトの決勝戦(ライスボウル)があった。そこでプレーする選手たちを見て、純粋に「かっこいい」と思ったからだ。その舞台で自分もやってみたい気持ちが、少しずつ固まっていった。
今はすでに練習にも加わり、まずは厳しいロースター争いが待っている。
中大では、チームを変えるという覚悟を持って主将を務めた。その時間を経て、次の舞台でも目指す先は変わらない。
大学で果たせなかった日本一へ。中大で過ごした最後の1年は、その先につながっている。
プロフィール
松岡大聖(まつおか・たいせい)
中央大学アメリカンフットボール部で主将を務めたWR。父と伯父、兄2人がフットボーラー、姉の姫子はXリーグのアンバサダーを務めるアメフト一家の出身。大学1年時からエースレシーバーとして活躍し、1年と、3年時には関東学生アメリカンフットボール1部リーグTOP8のレシーブ部門でトップに立った。現在は富士通フロンティアーズでXリーグに挑んでいる。





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