長い距離は人生に似ている。則武桃佳が競歩で見つけた自分の進み方

インタビュー

大学4年時、35km競歩で当時の日本歴代10位に入る記録を残し、社会人になってからは濃飛倉庫運輸に所属して日本代表を目指した則武桃佳さん。

短い距離で一気に勝負するよりも、長い距離の中でペースを考え、補給を工夫し、自分のリズムを保ちながら進んでいく。競歩と向き合う中で、自分に合う距離を少しずつ見つけていった。

競歩と出会った高校時代

小学生の頃から、走ることが好きだった。中学では水泳と陸上に取り組み、高校には陸上推薦で進学した。

ただ、高校に入ってからは怪我が続く。

走りたい気持ちはある。けれど、思うように走れない。リハビリをする期間が増える中、その延長線上で競歩に取り組むようになった。

「走ることが本当に好きだったんですけど、怪我も重なって。大会に出る枠もあって、とりあえず競歩だったらできるかなと思いました」

競歩は、ただ速く歩けばいい競技ではない。

常にどちらかの足が地面についていなければならない。前に出した脚は、接地の瞬間から垂直になるまで膝を伸ばしていなければならない。速さだけでなく、フォームの正確さも問われる。

本人も、最初に苦しんだのはその独特のフォームだったという。

高校3年から本格的にレースに出るようになった。インターハイを目指して臨んだ県大会では、ゴール後に失格となった。

競歩では、レースを終えたあとに失格が告げられることがある。その場合、記録は残らない。

「せっかく歩いたのに記録がない。自分の中では、レースに出ていないのと同じなんだなと思ってしまいました」

悔しさはあった。それでも、そのレースには全力を出し切れた感覚もあった。競歩の難しさを知りながらも、大学でも頑張ろうと思えたレースだった。

終えるつもりだった35kmが続ける理由に

大学で目標にしていたのは、日本インカレの1万m競歩と、日本選手権の20km競歩に出場することだった。

ただ、競技生活は思うように進んだわけではない。貧血や疲労骨折に悩まされ、3年生の時には股関節周りの疲労骨折が続いた。

「ほぼ1年間は全部パーにしてしまった」

だからこそ、4年生では「無理をしない」ことをテーマにした。

大学で競歩には区切りをつけるつもりだった。最後の年に、目標としていた大会への出場を決めたい思いがあった。

しかし、目標にしていた日本インカレや20km競歩では、思うように標準記録へ届かなかった。

そこで最後に選んだのが、35km競歩だった。

35kmであれば、1kmごとのペースを考えながら進める。短い距離で一気にスピードを出し切るよりも、長い距離の中でペースを刻み、粘っていく方が自分には合っている。

そう考えて挑んだレースで、当時の日本歴代上位に入る記録を残した。

大学で競歩を終えるつもりだったレースが、社会人でも続ける理由になった。

「その記録がまさか、日本歴代10番になるような記録で。大学のコーチにも、このまま終われないよと言われて、すごく迷いました」

もともとは教員を目指していた。

それでも、日本のトップレベルに近づけた手応えがあった。社会人として競技を続けるなら、日本代表を目指したい。東京世界陸上や、地元に近い名古屋で開催されるアジア大会を目標にしたい。

そう考え、濃飛倉庫運輸で競技を続けることを決めた。

日本代表を目指す日々の中で身体と向き合い続けた

社会人1年目の序盤は、記録が伸びていた。初戦から自己ベストを更新し、その後のレースでも手応えはあった。

一方で、体力があるからこそ練習をやりすぎてしまった部分もあったという。

「体力があるからこそ、練習をやりすぎてしまったと思います。見えない疲労が出てしまって、それがレースに出てしまいました」

8月の東海選手権。5000m競歩で優勝を目指し、積極的にレースを進めた。けれど、レース中に体調を崩し、熱中症で途中棄権となった。

その後、脳に後遺症が残った。

競歩は、地面を踏み込み、片足にしっかり体重を乗せながら進んでいく競技だ。フォームが崩れれば、スピードだけでなく、反則にもつながる。

足に体重を乗せづらい感覚や左右差が出る状態は、競歩を続ける上で大きな問題だった。

さらに、体温調節も難しくなった。暑さに弱くなり、寒さにも敏感になった。35kmやマラソン競歩のように長い時間歩き続ける種目では、気温の変化や身体の冷え、暑さへの対応もレースに影響する。

競技に戻りたい気持ちはある。けれど、身体は思うように反応してくれない。

思うように動けない時期が続く中で、12月には愛知駅伝を走る機会があった。小学生から大人まで、世代を越えてたすきをつなぐ駅伝だった。

競歩とは違う種目でも、走った後には素直に気持ちが良かった。周囲から次の大会について声をかけてもらえたことも、少しずつ前を向くきっかけになった。

「やっぱり陸上って楽しいんだなと思いました。応援してくださる人も多くて、ゆっくり頑張っていこうと思えました」

社会人2年目は、2026年に開催される名古屋でのアジア大会を目指して競技に向き合った。

練習量を落とし、10月にコンディションを合わせるように工夫した。炎天下の練習やレースを避け、無理をしすぎないことも大切にした。

その中で迎えたのが、全日本競歩高畠大会のマラソン競歩だった。

上位3人は、学生時代から全国で活躍してきた選手たちだった。順位は4位。3位とはわずか29秒差だった。

「42kmは長いですし、どこかで粘れば3番に入れたと思う気持ちもあります。でも、自分らしいレースはできたので、挑戦して良かったと思っています」

長い距離になればなるほど、ただ歩き続けるだけでは足りない。

ペース配分、フォーム、補給、気温への対応。競歩の技術だけでなく、自分の身体をどう扱うかも問われる。

ガス欠にならないように、飲み物や補給を工夫する。雨の中では、身体を冷やさないことも意識する。

そうした工夫を重ねながら、全国クラスの選手たちに少しでも近づけたことが印象に残っているという。

競歩で歩んだ時間をこれからの挑戦に

翌年2月のハーフマラソン競歩では、3月の本命レースに向けた位置づけで出場し、目標通りのタイムで歩くことができた。

日本トップレベルの選手が集まるレースで、注意や警告を受けることなく歩き切れたことも、大きな手応えだった。

「自分自身の完璧な歩きができたのは人生で初めてでした。社会人で2年間競歩をやってきて、やっと完璧な歩きになったという意味で、やって良かったと思っています」

ただ、レース後に体調を崩し、足に力が入らない状態になった。1ヶ月後の本命レースに向けて、競歩の練習を続けることが難しくなった。

日本代表を目指す競歩には、そこで区切りをつけた。

本人は、「純粋に競技を楽しむだけだったら、多分引退しなかったと思う」と話す。ただ、実業団選手として日本代表を目指す以上、同じ形で競技を続けることは難しかった。

競歩には区切りをつけたが、陸上から離れたわけではない。

現在は、中学生の陸上指導にも携わっている。長距離の楽しさを伝え、生徒たちの成長に関わっていきたいと考えている。

「大学、社会人でお世話になった競歩コーチと一緒に早朝練習に取り組んだことは、後々の成長につながりました。何より信頼できる指導者に出会えたことも大きな財産です。

そして、チャンスはいつ訪れるかわからない。頑張った人にしか見られない景色があると思っています。自分も大学4年生の時にたまたま日本のトップ10に入って、それで未来が変わりました。諦めなければ、いつか花が咲くと思っています」

これからは、ウルトラマラソンにも挑戦したいという思いがある。長い距離への不安はあまりない。補給の仕方も、競歩の中で工夫してきた。

長い距離について、則武さんは「人生設計みたい」と話す。

無理をしたペースでは続かない。だからといって、ただゆっくり行けばいいわけでもない。自分が行けるペースを理解し、それを持続する。

「長い距離は、工夫していけばちゃんとゴールにたどり着けるところが魅力です」


プロフィール

則武 桃佳|陸上競技・競歩
濃飛倉庫運輸所属。35km競歩やマラソン競歩などの長距離種目を得意とし、第60回全日本競歩高畠大会35km競歩3位、第62回全日本競歩高畠大会女子マラソン競歩4位などの成績を残す。大学4年時には35km競歩で日本歴代10位相当のタイムを記録した。

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