「犬ぞり」と聞くと、多くの人は雪原をゆったりと行く観光体験を思い浮かべるかもしれません。しかし、ここ札幌では、飼い主と愛犬が一本のロープでつながり、同じゴールを目指して駆ける、歴史あるコミュニケーションとしての犬ぞりが息づいています。
今回お話を伺ったのは、シベリアンハスキーのあとむくん(2歳・体重20kg)と共にこの活動に親しむ工藤稔久さん。今シーズン、第40回を数える伝統ある全国犬ぞり稚内大会の1頭引き部門で優勝を果たしたコンビです。
歴史ある北海道の犬ぞり文化
北海道の犬ぞりは、かつて雪原での移動や物資輸送を担った文化です。映画南極物語のモデル、タロとジロも日本南極観測隊に参加した樺太犬でした。
かつては実用的な移動手段だった犬ぞりですが、現在は犬と人が一体となってゴールを目指す、冬の楽しみの一つとして親しまれています。
札幌周辺でも1月から3月のシーズン中には、毎週のように大会や走行会が開催されており、多くの愛犬家たちが集まります。

ハスキーの特性と「走る」ということ
シベリアンハスキーは、古くから人と共に作業をし、生活を支えてきた犬種です。「もともと人間と作業をする犬として飼われていたようなので、走るのは好きみたいなんですよね」と工藤さんは語ります。
あとむ君と犬ぞりを始めた頃は、まず「一緒に走る」という共通の趣味を楽しむことから始めました。
「お座りや伏せを教えるのと同じで、犬って褒められると『これをやればいいことがある』と理解してくれるんですよね。だから『あっちまで行ったらおやつあげるからね』と繰り返して、僕と一緒に走るのもソリも楽しい、という感覚を積み重ねていきました」
ゴールで待つおやつと、工藤さんからの言葉。そんなやり取りの繰り返しが、あとむ君とレースに出るきっかけになりました。
多頭数からオープンクラスまで。奥深いカテゴリーの世界
犬ぞり競技は、引く犬の頭数によってカテゴリーが分かれています。犬と人が1対1で挑む最もシンプルな形の「1頭引き」をはじめ、2頭を並列につなぐ「2頭引き」、さらにスピードが増す「3頭引き・4頭引き」、そして5頭以上、時には10頭以上をつなぐ迫力の「オープンクラス」などがあります。
一見すると、頭数が増えるほど制御が難しく思えますが、実は競技者の間では「1頭引きが一番難しい」と言われることも少なくありません。そこには、犬たちの「群れ」としての特性が関係しています。
「オープンクラスなどの多頭引きでは、全体を引っ張る『絶対的なリーダー犬』がいれば、他の犬たちはその背中を追って走ります。チームとしての形が作りやすい面があるんです」
リーダーという指標がある多頭引きに対し、1頭引きはたった一頭でコースと向き合わなければなりません。
「頭のいい子ほど、後ろにいる飼い主のことが気になって、戻ってきてしまう。それをゴールへ向かわせるのが一番の技術。信頼関係があるからこその難しさがあります。言葉が通じない中で、感覚を共有してゴールまで行くのは、他では味わえない体験です」
工藤さんとあとむくんがいかに一対一で信頼を深め、前を向けるか。今回の優勝は、そんな二人の「阿吽の呼吸」が結実した結果でもありました。

体重20kgが叩き出す、時速30キロの躍動感
アトム君は体重20kg。オスのハスキーとしては小柄ですが、その引きは驚くほど強力です。
「全力疾走すれば時速30キロに達することもあります。腰にロープをつないで一緒に走るんですけど、もう僕は『お荷物』みたいに引っ張られていくような感覚です(笑)」
このスピードを支えるため、雪のない夏場もトレーニングを続けてきました。半年ほど前から、自転車とあとむ君をロープでつなぎ、2〜3日に1回のペースで走り込みを実施。「優勝したい」という目標に向けた、地道な準備期間でもありました。

1秒を争うスプリントと、犬種を問わない広がり
1頭引きのレースは主に200メートルのスプリント。わずか数秒の差で順位が入れ替わるシビアな世界です。
「2秒差で負けたこともあるし、2秒差で勝ったこともある。人間側も足手まといにならないよう、ソリを漕ぐタイミングなどの判断が求められます」
そんな真剣勝負の世界でありながら、門戸は広く開かれています。
「大きい犬しかできないと思われがちですが、走るのが好きな犬ならどんな犬種でも参加できます。僕の周りでは、小さなジャック・ラッセル・テリアも飼い主さんと一緒に楽しんでいますよ」
近年ではマウンテンバイクで走る「バイクジョアリング」も広がり、全国で多くの愛犬家が参加するようになっています。
同じ方向を向いて駆け抜ける
2月の第40回全国大会。60チーム以上が参加する中で、あとむ君と工藤さんは一度も足を止めることなく走り抜き、優勝という結果を手にしました。
「結果が出たことは本当に嬉しかったです。でも何より、あとむと一緒に走り切った瞬間の喜びが一番ですね」
来シーズンは3頭引きや4頭引きへの挑戦も視野に入れつつ、犬ぞりという文化が持つ魅力を発信し続けていく予定です。





