スポーツ業界の発展を支える新たな情報発信の支援

近年はSNSの発達によりスポーツチームや選手自らが発信を行う環境が整いつつある。様々な情報が錯綜する中でスポーツはどのように発展へと繋げていくことができるか真価が問われる。今回は2018年8月20日に本格始動したスポーツチームや団体自らの情報発信を支援するプロジェクト『SPORTS TIMES』を担当する株式会社PR TIMES 熊谷童夢さんに取材を行った。

 

【スポーツチームや団体自らの情報発信の支援によりスポーツ業界の発展を支える】


ー本日はよろしくお願いします。まず最初に自己紹介をお願いします。

岩手県盛岡市出身で学生時代は約14年間野球をやっていました。大学卒業後は新卒で金融業界(保険会社)に入社して4年間務めた後、IT業界(PR会社)に転職して働いています。

ー今はどのようなお仕事をしていますか?

メインでは、幅広い業種のクライアントの状況に合わせて、プレスリリースの配信、PRプランニング、Webクリッピングなど様々なサービスを提案しています。その中で、特に力を入れているのは、スポーツチームや団体が自ら情報発信することを支援する『SPORTS TIMES』というプロジェクトです。チームとPRパートナー契約を締結し、PR領域の支援を通じて、スポーツ情報が流通する土壌づくりを積極的に進めています。

ーリリースした頃はJリーグやBリーグのクラブが集まっていましたね。

発足当初はJリーグが9チーム、Bリーグが15チームでした。どのチームもプロジェクトに参画していただいたときは何もわからず、何だこれ?やってみるかという感じから始まったと思います。今はおかげさまで全国のチームからお問い合わせをもらうようになりましたが、当初は自分たちからアプローチをかけていたのが懐かしいなと思います。完全に新規だったので。

ー今ではいろいろな競技が集まっていますね。

おかげさまで50を超えるチームに参画いただいてます。お問い合わせがくることもありますが、最近は参画チームの方に良いと思ってもらって、その方に紹介してもらうことも増えてきました。スポーツ業界は繋がりが強いので、繋いでもらうことが多いですね。

ーSPORTS TIMESを始めて実感したことを教えて下さい。

誰かに「最近印象に残ったスポーツニュースって何?」と聞くとほとんどが試合結果とか選手情報のニュースが答えとして返ってきます。どうしてもメディアは試合結果や選手情報がメインストリームになりがちな面がありますが、一方でまだ伝えきれてない情報を持つチームやそれを求めているファンも多くいます。自社調べですが、スポーツメディアだと試合結果や選手情報が9割くらいで残り1割がイベント情報などその他。それだけでは面白みがなく、ファンの満足度は低いと思います。チーム強いときは良いですが弱くなったときに一気にファンは離れていきます。

ーそれくらい試合結果や選手情報が多いのですね。それに加えて、チームからの発信も大事だと思います。

チームが強いのはもちろん大事ですが、試合結果や選手情報以外の情報を発信して、チームとステークホルダーがうまく関係を作っていく必要があると思います。そういう意味でSPORTS TIMESでは、イベント情報やチケット情報なども多く発信されて、SNSなどでシェアされていきます。それが世の中に知れ渡り、チームの方から「PV数伸びました」「これまでリレーションのなかったメディアに記事が取り上げられました」「○○のニュースが面白かったと直接ファンの方に言われました」とか言われると嬉しいですし、やりがいを感じます。

ー様々な情報を受け取ってもらえるようにしたいですね。

例えば、楽天イーグルスが東北6県の小学1年生に楽天イーグルスの帽子を配っていたり、ロンドンから輸入したバスがあったり、球場内に観覧車やメリーゴーランドあることは、僕らは知っていることでも一般的には知らない人が多いと思います。でもこれって知ったら興味持ちません?スポーツは知ることから始まる。観戦のきっかけになる知る数が増えて、観る数が増えると思うので、そういう点を発信していってもらってますね。
PR TIMESから情報発信していただくと、これまでの関係性がなかったメディアやファンにリーチできますし、知るきっかけさえ作れば、そこからは観た人が面白いと思うかどうかだと思うので、そのきっかけ作りになればと思います。


【相手を知り、自分を売り込む】


ー転職するきっかけは何かあったのでしょうか?

正直、新卒で入ったときから3,4年で辞めると思っていました。もともとビジネスを考えたり作ったりすることに興味は持っていたので、営業とマネジメントを2年ずつ経験して、そろそろ外に出ようと思い、いろいろな会社に迷って今の会社に決めました。当時はスポーツの話もなかったのですし、扱う商材は何でも良かったので、縁やタイミングが決め手になったと思います。結果的にはすごく満足していますけど。

ー転職前は何をしていたのですか?

金融機関で営業とマネジメントを。1年目が個人営業、2年目は法人営業でいわゆる生命保険を売っていました。保険会社って基本的には既存顧客の見直しを定期的にして営業するのですが、僕たちは特殊な部隊で、完全新規で取引がないお客様と関係を作っていくので大変でしたね。金融商品ってお客様と営業マンの知識格差が大きくて受け入れづらいので、完全新規顧客向けの営業を経験したことで営業力は培われました。
一方でマネジメントは、50~70人くらいの営業職員さんに対して、それまでの営業活動を言葉にして伝えることなどをしていました。かなりざっくりですが。(笑)

ー営業でトップを取られた経験があると拝見しました。何か工夫されていたことはあったのでしょうか?

たまたま運が良く、お客様に恵まれました。正直、僕の中では何でも売れる人間になろうと思っていました。まずはお客様に「◯◯会社の熊谷童夢(クマガイドウム)です」とフルネームで挨拶します。最初は「○○会社の…」と会社名で呼ばれるのですが、それから徐々に「熊谷くん」、最後契約する時には「童夢くん」と下の名前で呼ばれるようになるんですよね。
商品を売るよりも自分を売り込むことを一番肝に銘じて、こだわって活動していました。僕自身が売れれば、他の商品でも売れると思いますし、たまたま最後に売れたのが保険だっただけです。もちろん、その中に僕なりのアイディアや工夫とかはありますが。

ーさきほど金融商品は最初は反応良くないと仰っていました。

極端ですが、保険は10人中10人が嫌だと思います。というより日常考えていないと思います。ですので、基本は商品の話を一切しなかったですね。僕自身に興味を持ってもらい知ってもらうこと、相手に興味を持ち知ることから、お互いの人間関係を深めて、相手から商品の話をしてもらうのを待つくらいの感覚でした。
営業をやっていると目の前の業績ばかり気になって、この当たり前のプロセスを忘れがちです。業績ってお客様には全く関係ないことで自己都合。そういう点で僕は心のゆとりを持って活動していたのだと思います。

ー自分を売り込む、相手を知ることを大事にされていたことが伝わります。それではマネジメント側になった際のことをお聞きしたいです。

学生時代は野球部のキャプテンをやっていました。僕の母校(盛岡大学附属高校)は現在部員が100人を超えています。そんなに人数がいて大変って思うかもしれませんが、「甲子園に行こう!甲子園で優勝しよう!」と全員のベクトルが一緒なのでそういう点では楽でした。
ただ、会社ではベクトルが全員違います。早く帰らないといけない、とにかく稼がないといけない、営業部の業績よりも自分の業績がよければいい、とみんな目標も環境もバラバラです。また、野球部時代と違って性別も年齢も異なるので、また違う大変さがありました。

ーどのようにコミュニケーションを取っていたのですか?

毎日全員と話していましたね。その人に応じて、とにかく全員とコミュニケーションを取りました。基本は相手から仕事の話が来るまで仕事の話はしないですね。たわいもない話が多かったと思います。口を開けば仕事の話しかしない上司って興味持てないですよね?たわいもない会話の中で、いつでも相談できるような存在でいると、向こうから真面目に仕事の話をしてくれるようになる。ここでも相手を知ることと、自分を知ってもらうことは意識していたのだと思います。

 

【甲子園を経験した高校時代】


ー甲子園に出場した熊谷さんですが、野球を始めたきっかけが面白いと聞きました。

実際野球を始めたのは小3の夏くらいです。当時家の前に大きな公園があって小中学生がみんな遊んでいたときに遡ります。僕の家では父がスポーツ担当、母が勉強担当で、スポーツにおいては、幼稚園のときから毎日走ったり、筋トレしたり。他の子よりも基礎体力ができていたので、中学生に負けないくらい運動神経は良かったです。自分で言うのも変ですが。(笑)
それでも、野球で遊んでいたときにバッターボックスに立って小学校5,6年生の人たちが投げる球が打てないのが悔しくて…、親に野球を習いたいと言いました。それで従兄弟が入っていた野球チーム(リトルリーグ)に入団したのがきっかけです。後で気づいたのですが、小学校5,6年生の人たちは野球を習っていて僕に変化球を投げていて、それを空振りしていただけでした。(苦笑)

ー野球が好きで始めたのではないのですね!それでは野球人生の中で印象に残っていることを教えて下さい。

高校2年生の夏に第90回大会の甲子園に出場したのですが、県大会の決勝戦で、僕は1番レフトで試合に出ていました。1−1で迎えた延長10回裏1アウト2塁。僕に打席が回ってきて、ライトオーバーのサヨナラ打を打って、甲子園を決めたのが嬉しかったです。3年生を甲子園に連れていきたいという気持ちとプレッシャーもあったので甲子園が決まった瞬間は全力で泣きました。辛かった過去とかいろいろな思いがこみ上げてきましたね。

ーものすごい経験をしていますね!甲子園の舞台はいかがでしたか?

きっかけは野球がうまくなりたいという気持ちがありましたが、その上に甲子園という目標はあって、甲子園の土を踏んだときは、ここが小さい頃から目指してたところだと、ついに来たんだなという実感はありました。全国の高校球児全員が出たいという気持ちのある大会ですし、甲子園は各地区を勝ち抜いた強豪校しかいない。一生の思い出ですね。10年経った今でもお守りとして砂を持っています。

ー高校時代、野球はどのようなことを頑張りましたか?

野球ではないのですが、野球バカになるのは嫌でしたね。小さい頃から両親が文武両道とずっと言っていて、勉学が疎かにならないようにしていました。
野球に関しては2年生のときは甲子園に出て勝つため、3年生のときはみんなを甲子園に連れて行ってやるという気持ちでやっていました。最後の夏は菊池雄星投手率いる花巻東高校が甲子園に出場し、僕らは出れませんでしたが。

ーそれこそマネジメントの部分は苦労したのではないでしょうか?

同じベクトルを向いているのですが、向いているからこそ挫折してしまう人もいます。試合に出られなくなるとモチベーションが低くなってしまう人も出てきたり。ベンチに入れる人、試合出れる人も限られているので、特にベンチ外のメンバーの心のケアに気を配って、グラウンド以外(学校や寮)でも常にコミュニケーションを取るようにしていました。

ーどのようなことを意識していたのでしょうか?

中学校時代の監督(リトルシニア)がよく、目配り・気配り・心配りと言っていました。今でもそれをずっと心がけています。

ーそれから大学時代のお話を伺いたいのですが、どのようなことをしていましたか?

法学部で勉学も頑張っていました。岩手を出て東京に来ていたので、当たり前ですが、さすがに4年で卒業しないといけないですし。テスト用紙に野球部と書いても単位を貰えない学校でしたので。(笑)
勉強しながら、野球も運良く1年の春からベンチ入りして試合も出ていました。僕がいた青山学院大学は戦国東都と言われている全国で一番強いリーグに所属していたのですが、レフトに後輩の吉田(吉田正尚選手,オリックス)、センターは杉本(杉本裕太郎選手,オリックス)、ライトが僕みたいな。僕以外の外野手は現在もプロ野球選手としてプレーしています。
これもラッキーですが、一応実績として、4年生のときにはリーグ戦で3割6分4厘と、リーグ打率4位と結果を残すこともできました。今思うとランキングインしている選手は今もプロ野球や社会人野球で活躍している人が多く光栄に思います。

ー大学時代は野球で上を目指そうとしていましたか?

一応、高校のときから、プロのスカウトも見に来てくれていて、プロは意識していてました。それでも小さい頃から硬式野球をやっていて、肩肘を痛めていて、腰もボロボロで…。大学生のときにはこのまま野球を続けていても2,3年位で限界かなと感じていました。あとは、あまり野球に自信がなかっただけかもしれないですが、このまま野球を続けるか、ビジネスの道に進むか大学時代はかなり迷っていました。

ー決断はいつ頃されたのでしょうか?

2,3年生からずっと迷っていて、就活も平行してやっていました。最終的には4年の夏くらいに完全に決めましたね。当時は社会人野球からも声をかけていただいていましたが、野球には区切りをつけて完全にビジネスの道に行くと決めました。

【ビジネスでスポーツ業界を変える】


ー今後スポーツ界ではどのようなことをしていきたいですか?

今まで、自分の中で悔いがないほど本気でスポーツをやってきたので、それまでのプレーヤーの経験と、今はまだ社会人5年目ですけど、ビジネスの経験をいかせる仕事がいいかなというのはありますね。日本ではスポーツ業界には、スポーツをしていた人がそのまま入る人が結構いますが、そういう方ってどうしてもビジネスマンが少ないと思うんですよね。あとは、スポーツ業界は稼げないというイメージが強いと思うので、日本でもアメリカのスポーツ業界で言われている“ドリームジョブ”と言われるような流れにできたらいいですね。

ー個人の活動としては何か目標はありますか?

スポーツに関しては野望かもしれないですけど、固定概念が強く、同業界ばかりの人で溢れていて変化できていない古い業界だと思っているので、そこを若い力で変えていきたいのはありますね。そのモデルになれれば。実際、フェンシングの太田さんは若くして協会の会長として、変化を恐れずどんどん新しいことにチャレンジしています。間違いなくスポーツ業界に革命を起こしているので、そういう存在になりたいですね。年齢じゃないぞ!と。

ー今後スポーツに関わりたい人にメッセージをお願いします。

スポーツ業界は、まだ成熟していなくて今後更に成長していく業界であると思います。そこに関わっていて思うのは人手不足で若い人や女性もまだまだ少ないので、かなりチャンスだと思います。また、スポーツと言っても、メジャースポーツだけでなく、マイナースポーツ(ベンチャースポーツ)にも魅力はたくさんあるので、みんなが知るスポーツだけでなく、新しいスポーツの中で学ぶことで、メジャースポーツでも活かせることがあると思います。どこかに絞らずに、成長産業だと信じて、本当に好きなら飛び込んでいけばいいのではないかと思います。

ー転職した経験から言えることはありますか?

僕は長年野球をやっていて、そのまま新卒でスポーツ業界に入ったとしたら今感じている気づきはなかったと思います。全く異なる金融業界に入って、完全にファンの目線になり客観視してスポーツを見ていました。そしてスポーツをプレーヤー、ファン、ビジネスとして経験できました。タイミングあればいつでもチャンスのある業界だと思うので、新卒でスポーツ業界でなければいけないということもないと思います。僕はスポーツで育ってきた人間なので、恩返しではありませんが、少しでもスポーツ業界の発展に繋げていければ良いと思っています。

ー童夢さん、本日はありがとうございました!


【熊谷童夢】

岩手県盛岡市出身。
盛岡大学附属高校(野球部)→青山学院大学・法学部(野球部)→日本生命保険相互会社→株式会社PR TIMES
スポーツチームや団体が自ら情報発信することを支援するプロジェクト「SPORTS TIMES」を発足。スポーツ産業の発展に努めます。
Twitter:熊谷 童夢 Domu Kumagai
Facebook:熊谷 童夢
SPORTS TIMES:https://prtimes.jp/sportstimes/

取材/執筆

【藤原】

Vektor代表/V-SPORTS PROJECT所属
Twitter:Kohsuke/スポーツ支える人を取材してる人