独立リーグ・石川ミリオンスターズ挑戦の捕手・宮里凌成。高校卒業後の4年で“別人クラス”に──知識で変わり、目指すはNPBドラフト「今は野球に集中して積み重ねるだけ」

伸び悩み続けた中学・高校時代。誰よりも練習を重ねたが、それでも結果は出なかった。高校最後の夏、引退を決意した男はその4年後、独立リーグ・石川ミリオンスターズへの入団が決まった。

この4年間で、何が変わったのか。かつての自分と同じ場所で止まっている選手たちへ「諦めなくていい」と示すために、宮里凌成はNPBを目指して挑戦を続けるーー。

伸び悩んでいた頃の自分

野球を始めたのは小学4年生。

 「小学生の時も、特別上手いわけではなくて。むしろ下手くそ側やったと思ってます」

それでも野球は好きだった。中学へ上がる時、彼の中にあったのは「どうせやるなら上手くなりたい」という気持ちだ。硬式チームへの挑戦を考え、体験に行き「上手くなれそうな環境」を探した。

ところが、硬式に入った瞬間に現実が来る。

「硬式はやっぱレベル高い子が集まってくるんで。先輩にも圧倒されたし、同級生にも圧倒されて中学が始まった感じです」

中学から捕手を始めた。父親が捕手だった影響もある。

「どうせ野球やるなら、ずっとボール触りたいじゃないですか。外野やったら飛んでくるか分からんけど、キャッチャーとピッチャーはずっと触れるんで」

ただ、最初は怖い。硬いボールを捕れない。試合にも出られない。そこで彼が選んだのは量で追いつくことだった。学校が終わった瞬間に走って帰り、自転車で20〜30分かけて練習場へ行く。誰よりも早く着くと決め、実際にそうしていた。

中学時代

だが本人は当時をこう言う。

「ただやってるだけみたいなところがあって。練習方法も知らず、結果うまくならず…」

中学の試合で象徴的だったのは、トリプルヘッダーでの試合で自分ではなく別ポジションの選手が捕手に回ったことだ。ショートが捕手に入り、次はセンターが捕手に入る。自分はベンチに残る。悔しい思いをしたが、それでも野球を諦めることはなかった。

「野球がやっぱ好きやったっぽくて」

高校でも努力は続く。始発で通い、朝練をし、居残りもする。帰ってきてからも練習する。中学と高校の6年間で休んだのは眼窩底骨折の翌日くらいだと言う。

だが、伸びた実感がない。

「やってることが合ってるか分からん状態で反復してたんで、上手くならない。上手い子は体の使い方が合ってるから勝手に上手くなるけど、僕は違う動きをしたまま反復してた」

頑張っているのに結果が出ない。最後の夏も勝てずに終わる。頑張った自信があるぶん、「これだけやって変わらないなら向いてない」と思ってしまった。高校で引退し、野球をいったん手放した。

引退後の虚無感、再スタート

引退した直後、宮里は遊んだ。6年間ほぼ休まず走り続けた反動だ。

「やっと終わった、が率直な感想でした。まず友達と遊びたかった」

ただ、遊び続けても満たされない時間が来る。2〜3カ月ほど経った頃、虚無感が出てきた。

「ずっと遊べたら楽しいわけじゃなくて、なんも残らん感じがあって。打ち込むもんが必要やなって思った」

そこで生まれた問いが「じゃあ何に打ち込むか」だ。考えた末に戻ってきたのが野球だった。7月に引退したが、10月頃に練習再開を決めたという。

改めて再スタートをきった時、彼は前と同じやり方では無理だと思った。練習量を増やすより先に、そもそも自分の体と動きがどうなっているかを理解したくなった。

 「またただ単にやってるだけやと無理やなって。まず野球のことを勉強してみようかなって思ったのがスタートでした」

筋肉がどこにどうつくのか。体はどう動くのか。トレーニングはどう組むのか。柔軟性が足りないなら何をするのか。栄養はどう入れるのか……。やりたい動きができないなら、足りないものは何か。そこを埋める。本人の中で初めて、練習が反復から設計に変わった。

勉強の入口は大きく三つだったという。筋トレや栄養の本を読む。SNSやYouTubeで専門家の解説を見て実践する。体系立った情報が集まっているオンラインサロンも活用した。

体が硬いならストレッチ。筋肉量が少ないなら筋力をつける。動きが悪いなら体の使い方を直す。派手な練習ではなく、体が動く前提を整え直した。

そして冬頃、2〜3カ月積んだタイミングで、手応えが来る。

「ふと、パチって変わった瞬間があって。投げても、打っても、なんか違う。今までの自分じゃないみたいな瞬間があった」

球が速く投げられる。打球が飛ぶ。そこで確信したのが、「知識を入れて、実践する」ことの強さだった。

「一発で変わる魔法みたいなのはないと思ってて。積み上げたもんが、ある時にカチって噛み合って伸びる。そこに至るまで、淡々とやるしかない」

努力不足ではなく、前提のズレだった。ズレを直した途端、努力が成果につながる側に乗った。その手応えを掴んだところから、宮里の野球は「続ける」だけではなく「伸ばす」方向へ動き始めた。

帰国後に変わった周囲の評価

高校卒業後、彼はアメリカへ渡る。野球を続けるための進路として、アメリカの大学を選んだ。しかし、プロを意識しての決断ではなかったそうだ。

だが費用面が重くのしかかり、円安も重なった。4年間の負担を計算し、1年で一度日本へ戻る決断をする。

帰国後、彼は日本で働きながらトレーニングを続け、プレーも続けた。その期間が約1年ある。周りの反応が変わったのは、この「日本での1年」だと本人は言う。

 「昔は、野球できないやつって自己認識が強すぎた。でも、日本でまたプレーしていく中で、周りの反応が明らかに違ってたんですよね」

アメリカ時代

中学時代の同級生、先輩、当時の自分を知る人たちが口を揃えて言う。

「野球を続けてるのが信じられない」 「別人みたいになってる」

宮里はその言葉から、追いついていなかったのは自分の認識だと捉えた。

 「周りの評価が変わってたのに、こっちが追いついてなかった。『俺そんなに?』が強すぎた」

技術だけが伸びたわけではない。自分で自分にかけていた「どうせ無理」と言った壁が外側から崩れていく。彼の中の前提も変わり始めた。

「正直自分が行けるところじゃないと思っていた」

日本での約1年の期間、宮里は人とのつながりも増えていった。発信を始め、野球で出会う人も増えた。ドバイのトライアウトにも参加し、独立リーグのトライアウトも受けた。

その場に行ってみて初めて、「思っていたより遠くないかもしれない」という感覚が出てくる。本人の実力はまだまだであると謙遜しながらも、その距離感を感じられるようになっていた。

「独立リーグって、NPBの一個下で、正直自分が行けるとこじゃないと思ってた。でも実際行ってみたら、もしかしたらいける、みたいな感覚がちょっとあった」

さらに背中を押したのが、強豪の高校・大学で捕手を務め、ドバイのトライアウトも一緒に受けた先輩の言葉だ。

「可能性、ゼロではないよ」

そこからオーストラリアへ行き、現地の独立リーグ経験者の話も聞く。年齢的にも、挑戦するなら今だ。そうして、目標が「プロを目指す」に切り替わっていった。

ただ、本人が何度も言うのは、場所が人を変えたという話ではない。

 「海外にいって自分の居場所を変えたから、というのは正直ないです。もちろん、新たな人との出会いがあって、そこで考え方の変化はあったので0とは言いません。それでも、やることを淡々とやって、積み上げて、ちょっと伸ばして、また積み上げていく。それだけです」

ドバイのトライアウト時

独立リーグに挑むにあたって、目標は明快だ。

「まずは12球団のドラフトにかかることが一番の目標。正直その後のことは、なんとかなると思ってる。今は野球に集中して積み重ねるだけ」

そして、この挑戦にはもう一つ目的がある。伸び悩んでいる中高生に、「諦めなくていい」と示したい。

「諦めずに続けてほしい。高校で引退してたら、この4年間、絶対経験できてない」

最後に「どう見られたいか」を聞くと、答えは明確だった。

「すごい選手として、というより、伸び悩んでた側が積み上げてここまで来た選手として見てほしい。もし自分が上に行けたら、多くの人に希望を渡せると思う」

取材中、宮里は何度も「淡々と積むしかない」と言った。大きな言葉ではない。でも、その言い方にはブレがなかった。だからこちらは、結果より先に「やってくれそうだ」と思ってしまう。

「家族を始めサポートしてくださってる人、応援してくださってる人、僕と関わってくださっている全ての方に感謝して、恩返しする為にも全力で取り組みたいと思います」

オーストラリアでプレーする日本人選手たち

宮里凌成 プロフィール

■ 所属:石川ミリオンスターズ
■ 背番号:13
■ ポジション:捕手
■ 生年月日:2004/1/21
■ 出身地:大阪府
■ SNS:https://www.instagram.com/miyazato_ryosei_baseball/